<<「現代画家」と名乗ることについて>>
米田 主税
最終更新日:2016年12月23日
私はいつも、もの(モチーフ)を見ずに絵を描いている。これは絵画の基本中の基本である「見て描く」事とは対局にある制作姿勢だ。
ものを全く見ないで描くことには大きなリスクもある。自分の中のイメージだけに寄りかかってしまうからだ。まずモチーフを見て
描くことが今までの画家の日常の姿であることは動かしがたい事実ではあるが、真に新しいものを生み出すために敢えてその冒険に
身を投じることはできないだろうか。全くのゼロから絵画を生産するということ、偶然性も含めて自分の手癖だけで構成された
イメージに自分自身でおどろき、感嘆したいと思っている。
すると、どうしても抽象寄りになってくる。しかし、「抽象」だけで終わってしまってはいけないと思う。どんなに抽象的になっても、
画面に何らかの具体的イメージの残滓を出現させたい。
「正しい形」のつまらなさより、「デフォルメされ歪んだ形」のすばらしさを追求していきたい。
究極はラクガキの延長であることだ。学生時代に授業中、ノートや教科書に一心不乱に描きつづけていた
ラクガキが私の芸術の原点であることに最近気付かされた。
ものを見て描くのが今までの画家の姿であるならば、リスクを承知の上で、見ないで描くことに挑戦したい。
その姿勢をとりつづけるために、「現代画家」と名乗ることはひとつのアクションであると私は思っている。
おそらくそう簡単には受け容れられないだろう。そこには覚悟が必要となってくる。それでも、
もう残された時間は決して長くはない。信念をもって取り組むことによって今までの「画家」のカテゴリーを超え、
真に新しい「絵画」を一刻も早く生み出したいと思いながら制作活動を続けている。