米田 透 短文集 2001年6月分

最終更新日: 2001年6月30日

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短文のタイトル一覧

昼寝少し仕事の山場あしたから

短夜の囲碁の相手はコンピュータ

パリで聴く上方落語夏至夜風

洋館のテラス豆飯かみしめて

退勤路緑陰を出て緑陰へ

退勤す赤信号と大西日

雲の峰悲しい知らせ良い知らせ

無事果す誘導の役梅雨晴間

どう使う自分のいのち夏至近し

気の抜けぬ金曜の夜梅雨もどき

夏草や次の仕事の策を練る

ヴィーアイピー見送ってすぐ強い雹

内閣へアドレス登録虹の橋

難産の今夜の一句青林檎

フランスの穀倉地帯虹立ちて

芍薬や学び始める中国語

夏の雨ひいきの和食レストラン

チーズ入りサラダで始め夏館

夏の雲身辺整理ぼちぼちと

郷に入っては郷に従い花粉症

スパゲティ冷やしうどんとして食べる

休養す六月に入りよく晴れて

たましいのように灯籠オアフ島

一週を終えて聖霊降臨祭

よく冷えた母国のビール石畳

暑い日のビジネス交渉セーヌ川

高層の客室夏のセーヌ川

日焼けした顔とその訳月曜日

日本より暑いフランス旅券出す

西瓜食う家族は四人あと二匹

さつき満開子と医者のダイアローグ


2001年6月24日(日)

昼寝少し仕事の山場あしたから

今日も良い天気です。やはりフランスには梅雨が無いのだと考え直しました。昼寝にはもったいないですが、休養の続きに少し眠りました。今日の夜は日本からの出張者が到着するので、打ち合せを兼ねて和食レストランにご案内することになっています。来週はまた忙しくなります。ところで、この和食レストランの存続問題は好転したとのことです。

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2001年6月23日(土)

短夜の囲碁の相手はコンピュータ

ここのところ週末も含めて緊張が続いたので、今日はぐったりとしてひたすら眠りました。コンピュータとの囲碁をついついやってしまいますが、その他のことはなかなか進みません。

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2001年6月22日(金)

パリで聴く上方落語夏至夜風

エッフェル塔のそばに、磯村さんが館長をやっている、「MAISON DE LA CULTURE DU JAPON A PARIS」という日本文化をPRする施設があります。すばらしい図書館もありますが、今日は午後8時30分開演の「五代目桂文枝独演会」という落語の公演に招待されて行ってきました。独演会といえども、前座と三味線漫談もついており、あっというまに時間が過ぎたのはやはり、鍛えた「芸」の力のためでしょうか。

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2001年6月21日(木)

洋館のテラス豆飯かみしめて

グリーンピース、つまりむき豌豆を炊き込んだ飯のことですが、白い米と豌豆の緑がすがすがしく、夏の季語とされています。今日は合気道の後師匠宅の庭で夕食をご馳走になり、最後の決め手が豆御飯でした。今日は夏至で、夜10時を過ぎてもまだ明るいといった具合でした。

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2001年6月20日(水)

退勤路緑陰を出て緑陰へ

最近は天気がよく、退勤路は深い緑陰となります。こういう美しいところで働くことができて良かったと思いました。

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2001年6月19日(火)

退勤す赤信号と大西日

夏至間近なので、8時過ぎに退勤しても太陽はまだ中空にあります。車で走っていると前方の太陽がまぶしくて思わず身の危険を感じます。ふと家族のことを考えるとまだ死ねないと思い安全運転に努めました。

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2001年6月18日(月)

雲の峰悲しい知らせ良い知らせ

入道雲の出ている少し夏らしい天気になりました。会社のフランス人スタッフの奥さんが手に大怪我をしました。彼をなぐさめる言葉もなかなか出てきませんでした。今後の成り行きが心配です。話変わって、情報管理課のスタッフに協力して、PCを日本語、英語、フランス語共存させて使う方法を確認しました。マイクロソフトの努力を称賛したいと思います。なお、先週のVIP訪問の反省会を和食レストランで行いましたが、心配していた存続問題については、どうにか持ちこたえることができたようで、何よりです。今夜はほぼ満席の盛況でした。特別注文のかきあげ丼はいつ食べてもおいしく、正規のメニューに載せるべきだと思いました。

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2001年6月17日(日)

無事果す誘導の役梅雨晴間

個人的な活動になりますが、パリで行われたヨーロッパレベルのイベントの外での誘導の責任者の役を無事果しました。天気予報は雨でしたが、不思議なことに雨は降らず、太陽が顔を出した時は天界の守護を頂いていると感じました。

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2001年6月16日(土)

どう使う自分のいのち夏至近し

特別修行があり、このままではいけない、という気になりました。

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2001年6月15日(金)

気の抜けぬ金曜の夜梅雨もどき

忙しい一週の会社編は終わり、明日、明後日はパリで個人的に忙しい日が続きます。気になるのは天候で、毎日雨というのではフランスらしくないです。梅雨もどきとしておきます。

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2001年6月14日(木)

夏草や次の仕事の策を練る

日本へ帰任した後の仕事の内容が次第に明らかになってきますが、容易ではなさそうです。さてどこから攻めるか、戦略を考える必要があります。

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2001年6月13日(水)

ヴィーアイピー見送ってすぐ強い雹

フランスの天気は変わりやすいので油断がなりません。天気予報でにわか雨となっていたのですが、よく晴れていたのでまたはずれかと思いきや、すさまじい雹交じりの雨が何分か降り続きまたけろっと晴れました。それにしても親会社の社長が視察を終えて会社の門からハイヤーで出られた後だったので、皆ラッキーだったと喜びました。

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2001年6月12日(火)

内閣へアドレス登録虹の橋

昨日の句は手抜きだという批判がありましたが、その人から話を聞き、インターネットでサイトを探して小泉内閣メールマガジンの読者登録をしました。創刊号の受信にぎりぎり間に合いそうです。住所は単に「海外」と登録されました。

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2001年6月11日(月)

難産の今夜の一句青林檎

毎晩一句をノルマにしていますが、今夜は何も浮かんでこないので、スーパーで買ってきた青林檎のことを詠みました。

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2001年6月10日(日)

フランスの穀倉地帯虹立ちて

パリからオルレアンに帰る列車の窓からぼんやりと地平線を見ていたら虹が立っていました。

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2001年6月9日(土)

芍薬や学び始める中国語

帰任後の仕事に中国語が必要になりそうなので、フランス語に続いて中国語に取り組むことにしました。発音がまるっきりわからないのでCD付きの学習書をパリの日本人向けの本屋で買いました。

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2001年6月8日(金)

夏の雨ひいきの和食レストラン

オルレアンでたった一軒の「まともな」和食レストランはやはり経営困難らしく、いつ店を閉めるのか時間の問題になってきたようです。せいぜい応援しているのですが、焼け石に水のようです。

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2001年6月7日(木)

チーズ入りサラダで始め夏館

日本からの出張の帰りパリの空港から夕方会社に立ち寄ってくれた上司を送っていったら夕食をご馳走になってしまいました。

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2001年6月6日(水)

夏の雲身辺整理ぼちぼちと

インターネットのニュースでは、日本は梅雨入りしたようです。フランスは梅雨はありませんのでこれから良い季節となります。今日は帰任時に日本に持って帰る荷物について引越し会社の人が見積りに来ました。会社の書類も少し捨て、身辺整理スタートというところです。

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2001年6月5日(火)

郷に入っては郷に従い花粉症

どうも目や鼻や喉の調子が悪いと思ったら、フランスの花粉症の時期だということがわかりました。フランスに転勤した当初は日本で悩まされ花粉症から解放されたと思いましたが、7年以上住んでいると、こちらのアレルゲンに反応するようになるようです。

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2001年6月4日(月)

スパゲティ冷やしうどんとして食べる

フランスはイタリアに近いせいか、パスタが豊富です。スパゲティはもちろん、タリアテル(イタリア語ではタリアテーレとなるようです)というひもかわのようなものもあります。今日はスパゲッティを茹でて、和風のつゆで食べてみました。うどんと思えばうどんになります。

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2001年6月3日(日)

休養す六月に入りよく晴れて

先週末は三泊五日の日本への旅行をしたので、少し疲れが出て昼寝をしてしまいました。気温がだいぶ下がって平年並みとなりましたが、よく晴れています。

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2001年6月2日(土)

たましいのように灯籠オアフ島

米国メモリアルデーに併せて5月28日にハワイ・オアフ島ケエヒ・ラグーンビーチで行われた真如苑灯籠流しの模様を録画で拝聴する機会がありました。太平洋上に浮かぶ無数の灯籠がたましいのように見えました。

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2001年6月1日(金)

一週を終えて聖霊降臨祭

今年のフランスは、6月4日が聖霊降臨の月曜日という祝日なので、明日から三連休です。信仰上の覚悟を問われる時期です。

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2001年5月31日(木)

よく冷えた母国のビール石畳

暑い日でした。合気道の後、オルレアンの和食レストランで飲んだよく冷えたビールは生きていてよかったという感じでした。特別に作ってもらったかきあげ丼もまた絶妙な味でした。

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2001年5月30日(水)

暑い日のビジネス交渉セーヌ川

フランスの会社とのビジネス交渉を2件終え、セーヌ川を渡ってパリからオルレアンに戻りました。

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2001年5月29日(火)

高層の客室夏のセーヌ川

翌朝からのパリでの会議のため、日航ホテルに一泊しました。夕食は日航ホテルの和食レストラン「弁慶」。実はパリ日航ホテルは、既にAccorという大手ホテルチェーンに買収されており、日航ホテルという名で営業するのは今年の年末までとのこと。来年からはNOVOTELになる予定です。弁慶が存続するかどうか、日本人にとっては気になるところです。私にとって日航ホテルに泊まる楽しみは、セーヌ川を見下ろす景観と日本語のテレビ放送です。

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2001年5月28日(月)

日焼けした顔とその訳月曜日

三泊五日の日本への旅を終え、いつもどおりに月曜の朝の出勤をこなしました。ささやかな土産物を配って仕事に戻りました。なにしろ暑いので冷房を入れました。この会社の四連休には、皆それぞれ有意義な活動をしたようです。みごとに日焼けしたベテランの日本人出向者はフランス人ばかりが出る三日間に及ぶ地域のゴルフ大会で見事優勝し、ローカル紙に写真入りで報道されたとのことです。

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2001年5月27日(日)

日本より暑いフランス旅券出す

朝早く、妻に最寄りの地下鉄の駅まで車で送ってもらい、成田空港に向かいました。パリへ行く飛行機(ANA NH205便)は満席でしたが予定通り飛んでくれたのでまあまあでした。映画を二本観ている内に大体着いてしまうのはパリ発の時と同じです。パリの空港に降り立った時日本より暑いという感じがしました。バス、電車、列車、市電と乗り継いでオルレアンのアパートにたどり着きましたが、直ぐにシャワーを浴びました。

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2001年5月26日(土)

西瓜食う家族は四人あと二匹

昨夜は土産に買って行ったブルゴーニュワインを家族で飲みましたが、今夜は同じく土産のシャンパンに合う料理を妻が並べてくれたので、おおいに盛り上がりました。食後に食べた西瓜はよく冷えていて甘く満足しました。家には妻、長男、長女のほかに雄と雌の猫各一匹がいますが、割と私のことを覚えていて警戒しません。

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2001年5月25日(金)

さつき満開子と医者のダイアローグ

息子の担当医に今後の息子の社会復帰プログラムについて相談するため、妻と一緒に息子に付き添って病院に行きました。濃いピンクのさつきの花が沢山咲いていました。時期がくれば花が咲くのは自然の摂理なのでしょうね。息子の自然治癒力を信じたいものです。

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以上