米田 透 短文集 2001年9月分

最終更新日: 2001年9月30日

短文集 Indexへ戻る

短文のタイトル一覧

秋晴れやインタ−ネット書斎でき

秋晴れのクリームシチュー妻の留守

あて名ラベル打ち出す仕事上り月

秋めくや我が家の合同誕生祭

台風逸れ歓送迎の小さな宴

トッピング華やかが良し冷そうめん

五十五歳の浦島太郎秋彼岸

地下鉄の駅から家まで虫の声

目立つように「新米入荷」トンカツ屋

敬老の日電話の母の声高く

物置をひとつ増やして秋の雲

帰任後の人間ドック秋暑し

秋暑しご飯の付いた狸蕎麦

台風一過ニューヨーク奇襲受く

台風の接近眼鏡注文す

台風の先触れの雨納屋を買う

物言わず尾頭付きの秋刀魚食う

デザートの加賀梨猫の唸り声

横浜の市民に戻り法師蝉

日本に帰って寿司と生ビール

帰るコール復活させて秋の夜

印鑑の社会に戻り鱗雲

納屋を買う相談日本秋めきて

これからは家族と一緒虫の声

花束とキス受け帰国八月尽

ノルマンディーチーズいろいろ虫の声

ウォッカと喜多方ラーメン秋の宵

宵の秋鮭とイクラの親子丼

引越しというより撤去残暑止む

パリ残暑別れを告げに寺参り

ベジタリアンシチューを作り秋団扇


2001年9月24日(月)

秋晴れやインタ−ネット書斎でき

書斎が使えるようになったので、近所の電気店に行って、電話線と分配器を買いました。これで書斎でインターネット接続ができるようになりました。

先頭へ


2001年9月23日(日)

秋晴れのクリームシチュー妻の留守

朝早く妻が京都にでかけたので車で最寄りの地下鉄の駅まで送っていきました。と言っても運転したのは駅から自宅までです。フランスでの運転からそう簡単には切り替わらないだろうと言って家族は私の運転の車に乗りたがりません。朝10時から合気道の練習に行きました。大先生が指導に来られて、独特の緊張した雰囲気のまま、技を二つ習いました。練習後、近くのファミリーレストランでビールと昼食。大先生とも少しお話させていただきました。家に帰ってから書斎を使えるようにし、妻がいないので、クッキング・パパを実行して、クリームシチューを成人している子供達と一緒に食べました。

先頭へ


2001年9月22日(土)

あて名ラベル打ち出す仕事上り月

3連休の初日ですが、まだ家の中に自分のスペースが確保できていないので何か落ち着きません。そういう事情と無関係に、俳句会の会誌発送用あて名ラベル作成のボランティアを引き受けてしまい9月下旬発送分から責任を持つことになったので、ひとまず全部自分でやってみました。あて名ラベルは、名簿さえ更新されていれば、簡単にプリントできることがわかりました。ラベルをはがして封筒に貼る作業は単純繰り返し作業で誰でもできることがわかりました。今後どうやっていくか、家族と相談してやって行こうと思います。

先頭へ


2001年9月21日(金)

秋めくや我が家の合同誕生祭

秋雨が降り気温もだいぶ下がって肌寒いくらいになりました。我が家では、私と長女の誕生日祝いを合同でやってくれました。プレゼントももらいました。

先頭へ


2001年9月20日(木)

台風逸れ歓送迎の小さな宴

夕方会社で避難訓練があり、ヘルメットをかぶって退避しました。台風がどうやら逸れたようで、これからシンガポールに赴任する人の歓送会兼欧州からの帰任した我々二人の歓迎会が戸塚の「甘太郎」で予定通り行われました。

先頭へ


2001年9月19日(水)

トッピング華やかが良し冷そうめん

毎週水曜日は定時退勤日なので、素直に退勤しました。頂き物のそうめんを食べないといけないということで、色々なトッピングを用意してそうめんをにぎやかに食べました。

先頭へ


2001年9月18日(火)

五十五歳の浦島太郎秋彼岸

今日は自分の55歳の誕生日でした。少し早目に帰宅しましたが、家でのパーティは9月25日に誕生日を迎える娘と合同で別の日にやるとのことでした。

先頭へ


2001年9月17日(月)

地下鉄の駅から家まで虫の声

横浜市営地下鉄の中田駅から自宅までは徒歩で約15分かかります。住宅街ですが、若干の畑や菜園等緑地があります。夜一人で歩いていても虫の声がずうーっと続くのでさびしくありません。

先頭へ


2001年9月16日(日)

目立つように「新米入荷」トンカツ屋

午前中、横浜市泉区の中和田中学の柔道場で開催されている、合気道の稽古にでかけました。2時間たっぷり良い汗をかきました。午後は妻と横浜、上大岡に買い物に出かけました。新米入荷と表示のあるトンカツ屋でヒレカツ定食を食べました。赤だし味噌を使った蜆汁が独特でした。ご飯と千切りキャベツはお代り自由でした。

先頭へ


2001年9月15日(土)

敬老の日電話の母の声高く

帰国以来、余裕がなくて母のところに行っていなかったので、敬老の日を利用して電話しました。何をやるにも一歩一歩の感じです。物置に物を移動しました。息子の油絵の収納もできて、効果大です。

先頭へ


2001年9月14日(金)

物置をひとつ増やして秋の雲

良い天気になりました。今日は会社が休みだったので、家で物置の据付工事に立ち会いました。職人さんが扇風機を持ってきたのには驚きました。家の外にある電源から電気を取っていました。台風で吹き飛ばされないように、アンカー工事をしてもらいました。

先頭へ


2001年9月13日(木)

帰任後の人間ドック秋暑し

人間ドックとその後の帰任後検診を受診しました。前回受診時に比べ体重が増えていました。これまでと違い、各専門医がダブルチェックするので、最終結果は3週間ほどかかって送られてくるそうです。フランスにいたというと医者も看護婦も同情的で、グルメの国だから少し太るのはしかたがない、と言ってくれました。ただし、今後は減量につとめ、エレベータは使わないようにと言われました。退勤後本屋に寄って中国関係の本を物色、NHKのラジオ・テレビの中国語会話のテキストなどを買いました。10月から新しいプログラムが始まるようです。9月号を情報収集を兼ねて買いました。

先頭へ


2001年9月12日(水)

秋暑しご飯の付いた狸蕎麦

米国で起こったテロ事件のテレビ報道を観ていて寝不足になりましたが、がんばって出勤しました。午後大森に出張、昼食は大森で蕎麦を食べました。日本に帰ってきてから、特定の物が食べたくなる傾向があります。メンチカツとか。これまでフランスでは朝食はパンと紅茶と決めていましたが、日本に戻ったらご飯を食べる日もあります。

先頭へ


2001年9月11日(火)

台風一過ニューヨーク奇襲受く

台風が午前中上陸。無駄な抵抗をあきらめて午前中は家で寝ていました。疲れが出てきて熟睡。午後出勤、大森に出張。多摩川が増水していました。夜米国で起こったテロ事件を知りました。ひどいものです。

先頭へ


2001年9月10日(月)

台風の接近眼鏡注文す

台風接近のため早目に退勤。人もまばらな眼鏡屋で眼鏡を新調しましたが、できあがりは9月22日頃とのこと。遠近両用のレンズにしてもらいましたが、視線の移動だけで切り替える方式のようです。

先頭へ


2001年9月9日(日)

台風の先触れの雨納屋を買う

納屋を発注しました。9月14日に配達・組立をしてもらう予定。

先頭へ


2001年9月8日(土)

物言わず尾頭付きの秋刀魚食う

台風接近の生暖かい陽気で時々にわか雨が降ります。午前中は納屋を置く庭の隅の整地をし、午後は俳句の関係で緑園都市方面に妻と車ででかけました。帰る途中立ち寄ったスーパーで夕食のメニューを秋刀魚の塩焼きに決めました。たっぷりの大根おろしをつけて食べる秋刀魚はなによりのご馳走です。ちなみに今年は秋刀魚が豊漁だそうです。

先頭へ


2001年9月7日(金)

デザートの加賀梨猫の唸り声

午前中は大森に出張、中国の営業状況を聞きました。昼食はフランスの職場で一緒だった人にご馳走になり、代わりに最近のフランスの状況を説明しました。午後は戸塚のオフィスに戻りました。夕食は家族そろって食べましたが、家の猫と外にいる猫とのけんかの問題が深刻だというのが主たる話題でした。妻の実家から送られてきた梨をデザートにたべましたが、大きくて甘く、何切れも食べてしまいました。

先頭へ


2001年9月6日(木)

横浜の市民に戻り法師蝉

泉区役所に行き、フランスのオルレアンから横浜市泉区への転入手続きをしました。パスポートだけあれば十分でした。同時に印鑑登録も行いました。これで横浜市民に戻りました。区役所には妻の車で連れて行ってもらいましたが、法師蝉の声が聞えました。パリやオルレアンでは蝉がいないので、日本に帰ってきたのだなあと感じました。次は、運転免許の切り替えです。相鉄線のいずみ中央から二俣川まで行き、運転試験場で長い時間かかってやっと日本の運転免許証がもらえました。住民票の写しとパスポート、フランスの免許証とその法定翻訳が必要でした。心配していた写真は試験場内で撮ってくれるところがありました。フランスの免許証は返してもらえました。夕食は昔の職場の人達三人が洋食レストランに招待してくれました。

先頭へ


2001年9月5日(水)

日本に帰って寿司と生ビール

午前中は新川崎に出張、昔欧州で世話になった人々に今度は中国関係で世話になることになりました。午後は戸塚のオフィスに戻りました。気になっていたカツカレーを会社の食堂で食べました。美味!永らく忘れていた定時退勤日の放送を聞いてから一杯ビールを飲みに行く相談がまとまり、寿司屋で生ビールを飲み、寿司も若干つまみました。やはり日本の寿司はうまい!

先頭へ


2001年9月4日(火)

帰るコール復活させて秋の夜

仕事で遅くなって家での夕食(すき焼き)に遅れてしまいました。おそくなりそうだったら早目に電話するように妻から言われました。長年単身赴任していると家族の都合を考えない習慣がついてしまうので、直していかないといけません。

先頭へ


2001年9月3日(月)

印鑑の社会に戻り鱗雲

帰任先の職場に出勤しました。そこは入社以来勤務していた所ですが、浦島太郎のごとく人々が歳を取っているように見えました。かくいう自分も髪や髭がグレイになっています。与えられたPCはポータブルで、電話も固定型の他に構内・構外兼用の携帯タイプが与えられました。今日はこれらのツールが使いこなせるようになるだけで精一杯でした。一番参ったのは印鑑社会に戻ったことです。食堂で昼食を食べるためにもIDカードを作ってもらう必要があり、銀行への届出印が必要でしたが、家に置いてあるので、提出が明日になってしまいました。また、職印というものをまた使うことになりましたが、日付の印字の調整に手間取りました。 帰宅前に必要な買物はないかと妻に電話して、牛乳を1本買って帰りました。

先頭へ


2001年9月2日(日)

納屋を買う相談日本秋めきて

朝宅配を頼んだスーツケース2個が届きました。便利なものですね。今日はどっと疲れが出て、ひねもす眠ってしまいました。別送の荷物がやがて16個届くので、このままでは収納スペースがなく、納屋を買わなければなりません。庭の空きスペースに合わせてサイズを決めました。

先頭へ


2001年9月1日(土)

これからは家族と一緒虫の声

沢山の荷物を持って、横浜の自宅にたどり着きました。虫の音が聞え、あまり暑くはありません。

先頭へ


2001年8月31日(金)

花束とキス受け帰国八月尽

朝ホテルをチェックアウト、会社にマイカーで出勤、この車は買ってくれた会社のフランス人に引渡しました。午後3時、大勢の社員の見送りを受け、記念写真も撮ってもらい、フランス女性社員から花束とキスをもらいました。予約の車でパリの空港に向かいましたが、いつも空いている高速道路がヴァカンス帰りの人々で大渋滞したので、運転手が抜け道を通りました。日本からの出張帰りの社長(合気道の師匠でもある)と空港で無事会うことができ、合気道の八級の免状を戴くことができました。花束は結局抜け道を通ってプロの技を披露した運転手さんに奥さんにと言って差し上げました。


先頭へ


2001年8月30日(木)

ノルマンディーチーズいろいろ虫の声

朝はアパートの大型ゴミの廃棄に行き、午後は会社の書類整理をしました。ランチはパートナー会社のフランス人二人から招待を受け、ディナーは、フランス人と結婚して4人の子供を持っている日本人男性社員宅に招待されました。奥さんがノルマンディー出身とのことで、おいしいチーズを何種類も出してくれたのが印象的です。日本に帰ったらおいしいチーズが食べられなくなるのでしょうね。その代わりに納豆や漬物を食べることにしましょう。

先頭へ


2001年8月29日(水)

ウォッカと喜多方ラーメン秋の宵

帰国前に納めるべき税金をまとめて払う義務があるということで、経理・総務担当の日本人社員に連れられて銀行で保証小切手を作ってもらい、国庫に払いに行き、受取証をもらいました。これがないと出国が認められない場合があるそうです。晩は単身・独身日本人だけで私のために酒盛が行われました。印象に残ったのは、ウォッカと喜多方ラーメンです。

先頭へ


2001年8月28日(火)

宵の秋鮭とイクラの親子丼

総務担当の日本人社員と税務署、銀行、不動産屋、郵便局、大型ゴミ廃棄場等に行きました。ヨーロッパ各国通貨は現金で持っているといずれ使えなくなるので、すべてユーロに交換後オルレアンの銀行口座に入金しました。晩は新婚の日本人社員宅に招待されました。メインは鮭といくらの親子丼でした。

先頭へ


2001年8月27日(月)

引越しというより撤去残暑止む

朝引越し業者が来て、16個の荷物を持って行きました。赤十字が来て、洗濯機とベッドを持って行きました。夕方日本人社員数名が来て家具類を引き取って行きました。後はひたすら廃棄して、ともかくホテルにチェックイン。晩飯はホテルのレストランで3人の独身社員と食べました。たった一日でアパートを引き払うことがよくできた、と思いました。

先頭へ


2001年8月26日(日)

パリ残暑別れを告げに寺参り

猛暑が続いています。パリのお寺に行きましたが、31日には帰任してしまうので、皆さんにお別れを言いました。昼食は色々と手作りのものを私のために作って下さったようで、感激しました。心残りはPCのテクニカルサポートを続けられないことで、会社の同僚に後を頼んで行くしか方法がありません。

先頭へ


2001年8月25日(土)

ベジタリアンシチューを作り秋団扇

フランスは35度の猛烈な残暑となりました。冷蔵庫には野菜しか残らなかったので、肉抜きのビーフシシチューができました。ベジタリアンの料理というのはこういうのをいうのでしょうか。

先頭へ


以上